味音痴から

もって生まれた才能って感じることがある、音楽の感覚であったり、調味料を目分量でパパッとできたりする料理の感覚であったり、運動の感覚であったり、絵や造形の感覚であったり、学校の勉強もそう感じることがある。後世に努力しても体得できないこと。

1980年東京で酒屋問屋の配達をしていたころ、財閥系のレストランの厨房に調味料を配達する機会があった、高校または中学を卒業して見習いとして働いている青年たちがいた。板長さんが面倒をみていた。まかないもそれなりの材料を利用していた。
そこへ、私が配達にいった。
板長:「酒屋さん、食べていくかい?」
私:「いただきます」
板長:「おい、作って出してやれ」
見習いA:「はい」
冷たいお蕎麦を味噌汁のお椀に入れて出してくれた。
見習いA:「どうぞ」
板長が見習いAに「なんで冷たいものをそんな器に入れて出すんだ」
      「冷たいものは、ガラスの器にいれて出すんだ」
見習いA:「はい」

毎日高級食材を扱い、一流の職人の下で修業ができたら、たとえ味音痴であっても一流の職人になれるのではないだろうか。持って生まれた天性がなくても。

こんな関係性でいろんなところにあった、東京オリンピックを目の前にした2020年この時、IT業界に身を置く自分にとって、こんな関係性は皆無とは言わないが、確実に減少しているように思う。

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