「察してほしい」と「察することができない」で生まれる人間関係の隙間
いちいち言うまでもないことがある。分かり切ったことを繰り返すように話す場合もある。野球の外野フライを二人の外野手同志がゆずりあって落球してしまうように、「察してほしい」と「察することができない」ですれ違うことが多いと感じる。 リモートで、顔を合わせたことのないメンバーとプロジェクトを推進する。PCのデスクトップの画面共有はするが、ビデオで顔を見せたりしないので、音声とドキュメントを表示した画面でプロジェクトが推進される。いちいち掘り起こして再確認する場合があるが、案の定意識の差異や誤解がある。事象をとらえる温度感もちがう。本気の最優先なのか片手間的扱いなのか。人それぞれ。これ当たり前の前提で。
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