ある人のエピソード。小学一年生の時、初めて作文を書いた。担任の先生は、「とても上手に書けています」と褒めてくれた。嬉しかった。大人になって、褒められるタイミングはあまり多くない。むしろクレームの方が多い。私は、褒める立場でもないが事あるごとに「ありがとうございます」を乱発している。この言葉が自身の周りにちりばめられると、自分が幸せになった感じがする。
「褒める」だが、タイミングが大切だ。多くの言葉より、タイミングのあった「すごいね」がとても有効だと思う。そこには、他人の努力を察する力が必要だ。
教育者でもあったフィリピン独立の父ホセ・リサールは、「一度みんなの前でほめられた子どもは、次の日にはその倍も勉強して来ます」と記している。
そしてその人の心にきざまれる。
2022/3
今、上のコメントを読み返した。新聞のコラムを切り取ったコメントだ。私は、会社で媚も売らずスキルを磨いてやってきた。10年間昇進なし、賞与なし(年俸制の契約社員だけど)突然寸志が振り込まれていた。面と向かって誉められることはない。プラスに受け取っているというメッセージを感じた。自己肯定感があり嬉しかった。